概要

まず始めに言っておくが、リモートワークが悪だとは全く思っていない。

子育てや介護といったどうしても出社できない事情がある人にとって、リモートワークは働き方の多様性を広げる素晴らしい制度だと思うし、仮にそういう特殊な理由がなく「満員電車に乗りたくないのでリモートワークをしたい」等の主張も全然ありだと個人的には思っている。

ただ、リモートワークの利便性を享受するならリモートワークによって生じる弊害には全力で対処すべきだと思うし、極論リモートワークによってパフォーマンスが下がったのなら評価にバツがつくことは甘んじて受け入れるべきだと思っている。大いなる力には大いなる責任が伴うというやつだ。

昨今のSNSを見ているとリモートワークの自由さだけを享受して、その自由さの裏にある責任からは逃れようとするポジショントークがあまりに多いと感じる。

こういったポジショントークを目にすると、「ああ、この人はただサボりたいだけなんだな」と正直思ってしまう。

今回はそういった類の発言を2つ紹介したい。

発言1. リモートワークでサボるやつは出社でもサボる

要するにリモートワークでサボるような人間はどうせ出社してもサボっているんだから、リモートワークを推進したところでサボりは増えないという主張だ。

これは本当におかしい主張だと思う。

出社で30%サボる人がリモートワークでは70%サボるなんてこと全然あり得る話で、それはリモートワークによってサボりが増えたと同義だろう。

サボる・サボらないというのは0か100かみたいな話ではなくグラデーションの話なのだ。

アン・ミカも「サボりって200種類あんねん」と言っていた。

すこし考えたら誰でもおかしいと分かる詭弁だと思うのだが、SNSではこういう類の発言をよく見るしかなり支持もされている。

発言2. 出社すると話しかけられて効率が悪い

要するに出社すると人から質問とか相談をされて業務が中断されるから、リモートワークの方が効率が良いという主張だ。

これはマクロな目線で見たら事実だと思う。仕事が中断されないほうが効率が良いに決まっている。

ただ、それによって話しかけた側は仕事を進めるためのしかるべき情報を得られる訳で、全体で見たときには効率が上がっているということがほとんどなんじゃないだろうか。

知りたい情報を得られずにタスクが完全に止まってしまう人間が存在している方がよっぽど効率が悪いだろう。

この発言はあまりにも視点が自分本位すぎるし、部分最適に執着しすぎていると感じる。

仮に雑談が多くて仕事が中断されるとかなら、問題の本質は出社ではなくその会社の文化にあるだろう。

まとめ

普通こういうのって無理やりひねり出してでも3選にするよな。