昨日、「ゆる哲学ラジオ」なるYouTubeの番組を見ていたのだが、そこででてきた「宇宙論的証明」という話を聞いて衝撃を受けた。

なぜ衝撃を受けたかと言うと、この「宇宙論的証明」という奴が自分が高校生のときに考えていたことと完全に同じだったからだ。

宇宙論的証明とは「何かが存在する以上それには原因があり、その原因をたどっていくと最終的に『最初の原因』に行き着く。それが神である」という考え方のことである。


自分は高校の物理の授業で「運動方程式 F = ma はデータを取ったらそうなるということが経験的に分かっただけで、数学的に証明されているわけではありません」という説明を教師から受けた。

物理エアプの自分は「それってありなの!?」と思ってしまった。

「なんでそうなるかは説明できないけど、とにかくそうなるんだから仕方がないよね」みたいなことがこの世にはたくさんあるんだと知った。

その後、「もし仮に運動方程式を説明できるようなAという法則が発見されたとしたらどうなるんだろうか」と高校生の自分は自問自答を開始した。

「運動方程式を説明するAという法則が見つかったとして、そしたらAという法則を説明するためのBという法則が必要だよな…。」

「そしたらBという法則を説明するためにCという法則が必要で…。」

「あれ?そしたらこれって無限に続いちゃうから、どこかで神のような超常的な存在が世界を規定したとしないと終わらないんじゃね?」

以上のような思考を経て、高校生の頃の自分は誰に教えられるでもなく自力で「宇宙論的証明」に辿り着いた。

正直に言うと「こんな斬新なことを思いついてしまう自分って天才なんじゃね?」とすら思っていた。

その幻想は昨日打ち砕かれた。

俺が思いつく程度のことはみんな思いついているのだ。


まあ、自分が天才ではないと自覚するのは辛いが、とはいえ良いこともあった。

ある意味自分がまともだと分かったからだ。

というのも、この「独自宇宙論的証明」について2回ほど人に話したことがあるのだが、2回とも「何言ってんだこいつ?」という感じでド滑りしたのである。

上司に話したときは「まあ、人間そういうのを信じたくなることもあるよね…」という返答をされた。

自分がここで言う「神」とは「この世界を矛盾なく説明するための超常的な存在」のことを指しているのであって、別にキリストとかムハンマドとか釈迦とか麻原彰晃とか大川隆法とかのことを言っている訳では無いのだが、上司には自分が宗教にハマっているやばいやつだと思われたらしい。

まあ、このエピソードに関しては上司の読解力の問題な気もするが、とはいえ2回もド滑りすると「もしかして俺ってやばいやつなのか?」みたいな気持ちは生まれてくる。

実際2回目のド滑り以降は人に話さなくなってしまった。

ただ、このYouTube番組を見て自分の発想が案外普遍的なものだったんだと自覚できたので、少しは自信が回復したな。